2014年07月28日

我々は自由なのか?フーコーの権力論について

近代において、「自由な主体とはなにか」「自由な主体を獲得できるか」は常に課題でした。自由について、フーコーはわれわれは自由に思考しているように見えて、そうではないと論じます。なぜなら、目に見えない権力が社会にはたくさん存在しているからです。
私たちはカメラを向けられているとき、そのカメラを意識してしまいます。もしこのカメラが背後にあり、そのことを知っていながらカメラを視認できないとき、私たちはいつ撮られているか分からないというプレッシャーを感じ続け、思考がカメラに支配されてしまいます。このとき、私たちは、カメラの存在は理解できるけれども、自身の思考がカメラに支配されていることは理解できていません。
この社会には、このように思考を支配してしまう権力が溢れており、われわれはその権力を認識することなく生活しています。この権力下においては、われわれは「自由」に思考することができません。
この権力の正体とはなんでしょうか?わたしたちは、この権力を克服し、自由になれるのでしょうか?
近代以降の社会において、なにが変化し、なにが問題となっているのか?その問題を権力論の視点から、議論します。
【日時】8月 3日(日) 13時-18時 終了後、懇親会。
ご興味ありましたらご連絡下さい。ゼミのグループに招待させて頂きます。そちらで詳細情報をご確認頂けます。
posted by Kagege at 21:07| Comment(0) | セミナー

2014年07月12日

ベネッセの謝罪会見の衣装について

benesse.jpg謝罪会見の際、いつも気になるのが衣装だ。

衣装は、その人の精神状態を表しているように見えるし、マスメディアに写真や映像で写ると、何を言っているか以上に、さまざまなことを教えてくれる。

今回のベネッセの場合、ダークスーツに青のレジメンタルストライプのネクタイ。

ダークスーツは、素晴らしい選択だ。しっかりとしたリーダーの印象を与える。しかも、仕立ても抜群に良い。

次に、青のレジメンタルストライプのネクタイ。

青という色は、冷静さを表現するのにピッタリなので、当人が冷静に事態に当たっていることを表現出来ている。この選択は素晴らしい。しかし、問題はレジメンタルストライプ。

レジメンタルストライプは、非常に強い印象を与える攻めの柄だ。しかも、ややカジュアルな印象を与える。

こうなると、冷静沈着で当事者意識を持って顧客に謝罪するというイメージではなく、冷静に犯人を追い詰めるのだという攻めの意思が伝わってきてしまう。そして、その攻めの姿勢は、そのまま顧客に対しても同様の印象を与えてしまう。

本当にそう思っているのかもしれないし、そう思っていないのかもしれないけれど、謝罪会見でこれだけ気合いをにじませているように見える衣装の社長というのは珍しいなあと思う。
posted by Kagege at 23:42| Comment(0) | パブリックスピーキング